翻訳と辞書
Words near each other
・ アフマディネジャド
・ アフマディネジャード
・ アフマディーネジャード
・ アフマディーヤ
・ アフマディーヤ信者に対する迫害
・ アフマディーヤ教団に対する宗教的迫害
・ アフマディ派
・ アフマト
・ アフマト・カディロフ名称特別任務民警連隊
・ アフマド
アフマド (ジャライル朝)
・ アフマドゥ
・ アフマドナガル
・ アフマドナガル包囲戦
・ アフマドナガル城
・ アフマドナガル王国
・ アフマド・アジュテビ
・ アフマド・アッ=サーリフ
・ アフマド・アッ=ドゥーニー
・ アフマド・アラービー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アフマド (ジャライル朝) : ミニ英和和英辞書
アフマド (ジャライル朝)[あさ, ちょう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

アフマド (ジャライル朝) : ウィキペディア日本語版
アフマド (ジャライル朝)[あさ, ちょう]

アフマド(? - 1410年)は、ジャライル朝の第4代君主(在位:1382年 - 1410年)。同王朝の実質的な最後の君主である。
第2代君主シャイフ・ウヴァイスの子で、第3代君主フサイン1世の弟である。父の死後、兄と権力闘争を繰り広げた末の1382年に兄を殺害し、自らが君主として即位した。しかし兄の在位8年間で起こった内紛で王朝は衰退しており、1386年からティムール帝国君主のティムールによるイラン遠征が始まるとあっさりと敗れたアフマドはエジプトマムルーク朝に逃亡し、その保護・援助を受ける。その結果、首都のバグダードや第2の都市であるタブリーズなどはティムールによって徹底的に破壊され、王朝は壊滅的打撃を受けた。
1396年にティムールが本拠のサマルカンドに帰還すると、その間隙を突いてマムルーク朝の援軍を得てバグダードに侵攻し、これを奪い返した。だがこれはティムールの怒りを招き、1400年にはティムールが大軍を率いて侵攻するとまたも逃亡。1401年にはマムルーク朝の援軍を得て反攻に出るも一蹴されて逆にシリアにまでティムールが進出する結果となり、再起は挫かれた。
しかし1405年にティムールが死去し、その帝国で内紛が起こるとバグダードに戻って再起を果たし、王朝を復活させた。さらに王朝の版図を取り戻すべくタブリーズの奪回も目指したが、同じくティムールの死で復活を果たした黒羊朝カラ・ユースフと対立する。アフマドは1410年に彼との戦いに敗れて捕らえられて処刑された。
アフマドの死後もジャライル朝の王族は再起を目指して活動したが、内紛や弱体化が進んで王朝は1432年に完全に消滅した。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アフマド (ジャライル朝)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.